平城京誕生と藤原不比等の活躍

奈良時代

こんにちは、nonameです。

みなさんは「なんと(710年)きれいな平城京」ということばを聞いた子がありますか?奈良時代が始まるこの年、都は藤原京から平城京へと移されました。

しかし、なぜわざわざ新しい都を作る必要があったのでしょうか?そこには、自分の孫をどうしても跡継ぎにしたいという天皇と、それを支えた藤原不比等の活躍がありました。

飛鳥時代の終わり

奈良時代が始まる少し前、天皇家では、若い天皇が次々と亡くなってしまうという悲しい出来事が起きていました。

  • 天武天皇の跡継ぎ候補だった草壁皇子が死亡してしまう。
  • 軽皇子がまだ幼かったため、持統天皇が中継ぎで天皇になる。
  • 軽皇子は14歳で文武天皇として天皇になるも、25歳で崩御してしまう。
  • 首皇子は当時まだ7歳だったため、707年に元明天皇が中継ぎで天皇となる。

このように、草壁皇子と文武天皇が若くして亡くなっています。

持統天皇と元明天皇は立場が似ていて、「息子に継がせられなかった、孫には絶対に継がせたい」と強い気持ちを持っていました。そして、その気持ちを支えたのが、藤原不比等になります。

奈良時代の始まり

こんな感じで飛鳥時代の終わりのことは次々に天皇が変わり、そのたびに誰が次の天皇になるかでもめていたんだ。

後継者争いで他のライバルに負けないように、持統天皇も元明天皇も藤原不比等を頼ったんだ。

よく見ると、文武天皇は藤原不比等の娘と結婚しているんだね。天皇家と藤原不比等は仲が良かったんだ。

その通りで仲が良かったんだ。特に文武天皇と藤原宮子の子供である首皇子は、元明天皇から見ても藤原不比等から見ても孫なんだ。だから首皇子を天皇にすることは共通の目的だったんだ。

そして元明天皇は藤原不比等のアドバイスもあって都を藤原京から平城京に移したんだ。こうして、飛鳥時代が終わって奈良時代が始まったんだよ。

平城京への遷都は藤原不比等が主導しました。そして元明天皇のあともう一人の中継ぎ天皇である元正天皇を経て、無事に首皇子は聖武天皇となるのでした。

天皇家と藤原家の願いが叶って、聖武天皇が誕生したんだね。藤原鎌足の時代にできた両家のつながりが、より強いつながりになっていたこともわかったよ。

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