古代日本を揺るがした「白村江の戦い」と天智天皇の決断

飛鳥時代

古代の日本が、異国の地で国際紛争に巻き込まれたことをご存じですか?それが「白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)」です。この戦いは、朝鮮半島での出来事でありながら、当時の日本の運命を大きく左右し、その後の国づくりに決定的な影響を与えました。

なぜ日本はこの戦いに参加したのか?そしてどのようなことの学んだのか、日本の大きな転換点となった白村江の戦い、見ていきましょう。

白村江の戦いって、どこでやったの?

白村江の戦いは、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)で行われたんだ。今の韓国があるところだよ。

そうなんだ。なんで日本が朝鮮半島で戦いをしていたの?

昔、日本は百済(くだら)という国と仲良しだったんだ。百済は、唐(とう)と新羅(しらぎ)と戦っていて、困っていたので日本に助けを求めてきたんだ。

そういうことだったんだ。仲良しだった百済(くだら)を助けるために、日本は戦ったんだね。

でも、唐って大きい。勝てなさそうだけど・・・

唐と新羅はとても強い相手だったんだ。だから中大兄皇子はとても悩んだんだ。百済を助けても、唐と新羅と戦うことになる。もし百済を見捨てたら、百済が滅ぼされて、次は日本に攻めてくるかもしれなかったんだ。

なるほど。百済を助けても、助けなくても、唐と新羅と戦わないといけない状況だったんだ。

そうなんだ。だから中大兄皇子は百済を助けに行くことを決めて、中大兄皇子のお母さんである斉明天皇(さいめいてんのう)と一緒に百済に向かったんだ。でも、斉明天皇はその途中で亡くなってしまったんだ。

大変だ。これから戦いなのに、亡くなってしまうなんて。戦いはどうだったの?

残念ながら、唐の力は強くて、日本は戦いに負けてしまったんだよ。日本の400隻もの船が沈められたと言われているんだ。

そうだったんだ・・・戦いのあとは、どうしたの?

唐や新羅が日本に攻めてくることを考えて、大きな砦(とりで)を九州に作ったんだ。絶対に日本を守るんだ、という強い気持ちが表れていね。そして天智天皇として、斉明天皇の次の天皇として活躍したんだ。

そうなんだ、中大兄皇子は天智天皇になったんだね。唐や新羅と戦ったことで、日本を強くしなくちゃ、という気持ちが大きくなったということがわかったよ。

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