飛鳥時代、国のトップである天皇の座をめぐって、身内同士が大きく衝突した事件がありました。これこそが「壬申の乱(じんしんのらん)」です。白村江の戦いのあと、中大兄皇子が天智天皇となりました。今回は、その天智天皇の弟と息子による、後継者争いの様子をお届けします。

壬申の乱(じんしんのらん)って、だれとだれの戦いだったの?

これは天智天皇の後継者争いだったんだ。争ったのは、天智天皇の息子の大友皇子(おおとものおうじ)と天智天皇の弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)の二人だよ。

そうなんだ。息子が継ぐのが普通じゃないの?

この時代は天皇の兄弟や、力の強い皇族が次の天皇になるという考え方もあったんだ。大友皇子も大海人皇子も、どちらが天皇になってもおかしくなかったんだよ。

天智天皇は、亡くなる前に弟の大海人皇子を呼び出して言いました。「大海人皇子、後は頼む・・・」。しかし、実はこれは大海人皇子を試すための罠だったのです。天智天皇は、弟の大海人皇子ではなく、息子の大友皇子を次の天皇にしたかったのです。

罠だったの?大海人皇子はどうしたの?

罠にかけられそうな大海人皇子だけど、とても頭が良くて、これが罠だと気が付いたんだ。ここで、「天皇になりたいです」と言ったら命が危ないと思って、「私は天皇にはなりたくありません」と言って、お坊さんになったんだ。

そうなんだ。よく気が付いたね!でも、結局大友皇子と戦うことになったの?

そうだんだ。大海人皇子がお坊さんになったあと、天智天皇が亡くなったんだ。そのとき、天智天皇の息子の大友皇子が、たくさん兵を集めたんだ。これは、父である天智天皇のお墓を作るためだったみたいだけど、これを見た大海人皇子は、「私を殺すための軍隊だ、殺される前に動かなければ!」と考えたんだ。

そうなんだ。少し勘違いかもしれないけれど、大海人皇子からしたらそんな風に見えるのかもしれないね。

実際に大海人皇子はそのように思ったみたいなんだ。こうして、自分を守るために大海人皇子は兵を集めて戦うことを決めたんだ。

戦いは、どっちが勝ったの?

戦いはとても激しいものだったみたいだ。特に最後の大勝負は、瀬田の唐橋で行われたんだ。激しい戦いの結果、大海人皇子側が勝ったんだよ。負けた大友皇子は、自ら命を絶ってしまったんだ。

そうだったんだ。負けたから仕方ないかもしれないけれど、悲しいね。

その通りで、天智天皇の弟と息子で争う、とても悲しい戦いだったんだ。この戦いに勝った大海人皇子は、「天武天皇(てんむてんのう)」となり、新しい国造りを始めたんだ。


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