こんにちは、nonameです。
歴史の教科書で必ず習う「大化の改新」。645年に中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)によって始められたこの改革は、日本を大きくかえるきっかけとなりました。
この革命がどれほど大変で、どのような裏側があったのか、今回は紹介していきたいと思います。

乙巳の変(いっしのへん)で、中大兄皇子と中臣鎌足が、蘇我入鹿を倒したんだったね。

そうだったね。中大兄皇子は、蘇我入鹿を倒したあと、すぐに天皇になったの?

実は中大兄皇子は、すぐに天皇にはならなかったんだ。
すぐに天皇になったら、「天皇になりたくて蘇我入鹿を倒したんだ」と周りに思われてしまうからね。

そっか、いきなりやると嫌われちゃうんだね。
代わりにだれが天皇になったの?

中大兄皇子のおじさんにあたる、孝徳天皇が天皇になったんだ。中大兄皇子は「皇太子(こうたいし)」という、次に天皇になる人という立場で、日本をもっと強くするための改革を始めたんだ。
これは「大化の改新(たいかのかいしん)」といって、中臣鎌足と一緒に行ったんだ。

そうなんだ。
大化の改新で、なにを変えたの?

まず、都を飛鳥から難波(なにわ)に移したんだ。難波は海に近くて中国など外国と交流しやすかったからだよ。
そして、一番大事なルール、「公地公民制(こうちこうみんせい)」を決めたんだ。

公地公民制って、具体的にどういうことなの?

前までは、豪族というお金持ちの家族が、土地や住んでいる人を「自分のものだ!」と言っていたんだ。でもこの公地公民制によって、「土地も人も、すべて国のもの(つまり天皇のもの)だ!」と決めたんだ。

えー、全部?なんでそんなルールにしたの?

また蘇我氏(そがし)みたいに、天皇より力をもつ豪族が現れたら困るからだよ。
みんな行同に土地を分け与えて、そこから税金を少しずつおさめてもらうようにしたんだ。これを班田収授(はんでんしゅうじゅ)の法と言うよ。
乙巳の変で蘇我入鹿を倒してから、天皇中心の国造りをしようという中大兄皇子と中臣鎌足の改革の様子がわかってきました。一方、今まで力を持っていた豪族たちは、立場が弱くなり、不満を募らせていました。

大化の改新は、スムーズに進んだの?

全然スムーズに進まなかったよ。今まで力を持っていた豪族たちは土地を取られてしまったので、改革に反対する人が多く現れたんだ。

そうなんだ。中大兄皇子は、天皇様とは仲が良かったの?

実は、孝徳天皇と中大兄皇子はも仲が悪くなってしまったんだ。大化の改新で都を飛鳥から難波に移したけれど、中大兄皇子は、孝徳天皇を難波に残して、自分だけ飛鳥に戻ってしまったんだ。孝徳天皇は、独りぼっちで寂しく亡くなってしまったんだよ。

そうなんだ、なんかかわいそうだね。
周りの人とケンカしてでも、中大兄皇子は天皇中心の国を作りたかったんだね。


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